上巻の続き
arushunogomitame.hatenablog.com
図書館に怒られながらなんとか昨日、読了する。
面白いけど長いんよ。この本は。
前のブログでも書きましたが、これに書いてあることは本当かなと思うものの正しいのなら認識を改める必要があるし、安直に絶望するのは愚かな事だなと感じた。
ただ、この本で言われている「人類は進歩している」という事が自分に利益を与えてくれているのかと少し疑問に思っている。
我々は余暇が増えて豊かになっている
現代人はクソ忙しい。とにかく時間がないと言われているが、なんとこの本には現代人はどんどん余暇が増えていると言っているのである。
少し学のある人であれば、労働時間は農耕民族より狩猟民族の方が少ないという話を聞いた事があると思うが、実はこの話には説明されていない事があり、確かに「食料を得る時間」は農耕民族より短いが、「食料を食べるために準備や加工する時間」を入れると普通に長時間労働になるそうだ。
例としてサン族はそういった労働に一日7~8時間、週に6~7日も働いている。
場所はアメリカで時期は1900年~2011年になるが、家事労働の時間が週58時間から週15.5時間に減っている。洗濯だけでみると1920年代は週11.5時間だったのが、2014年には1.5時間まで減っている。
また、明かりの値段が下がった事も夜の余暇時間を増やしている。極端な話を言うと紀元前のバビロニア人が夜の明かりを1時間灯すための油を作るのに50時間の労働が必要になるが、現代では0.5秒しかかからなくなった。
家族と過ごす時間も現代人は少ないと言われている。しかし、アメリカの話ではあるが、1924年に子供と1日二時間以上過ごす母親は45%(0は7%)、父親は1日一時間過ごす場合なら60%だが、1999年にはそれぞれ71%、83%まで上昇している。シングルマザーにおいては1965年の既婚の専業主婦より多い。
触れる事の出来る情報は各段に増え、旅行に行くハードルも格段に下がっている。
ただ、この辺はアメリカの話なので少なくとも日本にはあてはまってないような。あと、家事や雑事の時間は減っても労働は(少なくとも日本は)増えていないか?
現代人は孤独になっているのは誤りらしい
この本に載っている図によれば1978年~2012年のアメリカの学生の孤独感は低下の一方であった。ただ、2008年から日本の高3と高1と中2にあたる学年の孤独感が増加傾向にあったのが妙にひっかかった。
著者はおそらく技術の発展で昔よりずっと気軽に他者に触れ合える機会が増えたから孤独感は減っているはずという事なのだろうが、ネット越しと面と向かって会うのでは触れ合う情報量が断然違ってくるので、本当に孤独感は無くなっているのかと思うことはある。
まぁ孤独感が減るほど面倒が増えるというのもあるので何事も一長一短はあるのだが。少なくともマトリックス並の仮想空間ができればこの問題は解決できそうではある。
むやみに脅威を語ることが危機を作り出す
2013年に英語圏4か国で行われた調査によると、「現在の生活様式は今後100年以内に終わると考えている人は、人類の未来に希望は持てないので、愛する人を大切にする事に集中するしかない」と考えているそうだ。また、世界の15%の人とアメリカ人の4分の1は世界の終わりを信じている。
エリン・ケルシーという人物は「映画には、暴力やセックスシーンから子供を守るための年齢制限があるのに、科学者を小学二年生の教室に招いて、地球が滅亡すると語ることについては、私達は何とも思っていない。だが(オーストラリアの)子供の4分の1は世界の現状に胸を痛め、自分達が大人になる前に世界の終わりが来ると心から信じている」と言っていて、この辺はまさにその通りだと感じた。ただ、こういうのは昔からの娯楽だから規制するのは難しそうだ。大体1970年くらいからの科学シリーズでこういう滅亡ものが多くあったように思うが、歴史的に見たら最近の傾向なのだろうか。
現状だけ見ると科学技術は災害から人類を守っているので、純粋に科学技術で人類が滅ぶのはオカシイ話らしい。そうかもしれないし、そうでないのかもしれない。
人工知能は進化しても人間を滅ぼさない
そもそも、知能自体に目的は存在しないので、人類を滅ぼすという判断をすると考える事自体がナンセンスだし、それをAIをいじっている研究者が一番思っている事らしい。まぁそういう話はこの本以外でも聞いた事がある。あと、欲望の存在しない人工知能が人類を滅ぼしてどうするのと個人的に前から思っていた。
しかし、この章でスティーブンピンカーが「高い知能を持っているからといって冷酷になるわけではない。その代表例が女性。」と言っていてこの辺は色々と議論を呼びそうだなと思った。
悪意のある個人やテロリストは存在しない
ハッカー一人で世界を破滅させるほどすでにネットワークは複雑になっているし、テロリストが世界を滅ぼそうにも、国家の目をかいくぐってそのような事が出来る人材を集めて実行することは困難極まりない事である。確かにそうだろうな。なにかが世界を完全支配というのはよほど何かしらのシンギュラリティかなにかしらの奇跡がないかぎりないだろう。
バイオテロは非常に困難で効率が悪い
この本では感染力が高く殺傷率の高いウイルスや菌をつくるのは相当大変な事だそうだ。この本の著者スティーブン・ピンカーはマーティン・リース卿の「2020年までにバイオテロやバイオ事故で100万人規模の死者が出る」という予測にNoと賭けたとの事。このコロナは自然発生なのか事故なのか判明するまで相当時間がかかりそうだから、賭けの答えはまだまだ出そうにない。
核兵器
この本ではアルゼンチンがイギリスに戦争をしかけた例などをあげて、核兵器が戦争を抑止する事はないと言っているが、本当だろうか。この辺は少し感覚的だが疑問がある。しかし、数字の上では年々核兵器自体は減っているのでマッドマックスや北斗の拳の世界が訪れる可能性は下がる一方なのは間違いない。
将来に進歩をもたらしうる技術の数々
原子力発電の小型モジュール炉(SMR)の形態をとる第四世代の原子炉
液体金属電池
新型のゼロ・エミッションタイプのガス火力発電(蒸気ではなく排気でタービンを回
転させ、二酸化炭素は地下に隔離する)
デジタル・マニュファクチュアリング(ナノテクと3Dプリンタ技術、ラピッドプロ
トタイピング〈試作品を迅速に製造すること〉の組み合わせ。これによって鋼やコン
クリよりも強度の高い資材を製造できるようになる。)
ナノ濾過法
精密灌漑と水資源のスマートグリッド(安価なセンサーとAIチップを活用)
遺伝子組み換え作物
ドローン
ラボ・オン・チップ(一滴の血から病気予測診断ができる)
スマホやウェブを使ったオンライン教育。グラニークラウドなど。
プラットフォームの大衆化
アプリケーション・プログラム・インターフェース
これらがうまくいけば「第二の機械時代」がおとずれるらしい。ただ、経済停滞から救えるかはわからんとのこと。便利になってもあまり幸せになれない世界になりそうな。ただ、今でも昔と比べても見えないところで豊かになっているところが多くなっているのは間違いない。
理性
すべてが「主観」であるというのなら、その主張も主観によるものなので、正しい証明にはならない。主観主義者は矛盾しているという事になる。(己の主張そのものが主観によるものになるから)
理性はすべてに先立つもので、第一原則として証明する必要もない(そもそも証明もできない)。少なくとも人間は理性を使う能力によって進歩してきたのは間違いない。とりあえず「人間は完全に合理的にはなれないが、ある程度は合理的になれる」というのが妥当な線なのかも。
この辺の話で一番面白いと思ったのが「人は政治的になると思想の右左、高学歴低学歴関係なく馬鹿になる」というところかな。自分の信条に合わない答えを人は認めなくなる。
著者はイデオロギーのせいで人類は損害を被ってきたと言っている。この意識はネット界隈でもそう思っている人が多そうだ。
驚くべき精度で予測を当てる「超予測者」の特徴
フィリップ・テトロックがどういう人達がしっかり予測できるか調査したところ、官民含めたあらゆる専門家チームの予測はダーツを投げるチンパンジーと変わらなかった。
特に成績が悪かったチームの特徴としては
・考え方がひどく観念的
・複雑な問題に出合うと因果関係の型にはめ込もうとし、上手くはまらなければ無関
係で不要なものとして切り捨てる
・曖昧な答えに我慢がならず、自分の分析を限界まで推し進める
・「さらに」「そのうえ」と理由を重ねて、自分が正しく他の人々が間違っているこ
とを強調しようとする。
・驚くほど自信満々で断言しがち
・自分の結論に固執するあまり、予測が外れたとわかってもなかなか考えを変えよう
としない。
・行き詰まると「いや、もう少し待てばわかりますよ」と切り抜ける。
世間の注目を浴びている専門家に多い。
ただ、チンパンジーに勝っているチームもある。そういうチームは
・数多くの分析ツールを使い、取り組む課題に応じて使い分ける。
・出来るだけ多くの情報源から多くの情報を集めた。
・考える時に「しかし」「でも」「とはいえ」「その一方」といった転換語を使って
頻繁に頭を切り替える。
・確実性ではなく、可能性や確率について語る。
・素直に間違いを認め考えを変える。
・性格は知的好奇心が高く、変化を好み、知的活動を楽しむ。また不確実性を受け入
れ、物事を多角的にとらえる。衝動的ではなく直観を信じない。
・ノンポリ
・自分の考えに合わないエビデンスも考慮に入れる。
・自分と同意見の人より、異なる意見の人の話に耳を傾ける方が有益。
・意見を変えるのは弱さの表れではない。
・決断するときに直観を一番の頼りにしない。
・自説と矛盾するエビデンスが見つかったら考えを変える。
・ベイズ推定をよく使う。
・群衆の英知を信じていて、自分の考えをさらけ出して批判や訂正の意見を仰ぐし、
他の人々と予測を出し合うことを厭わない。
・世界を偶発性や不確実性に満ちたものと捉え、必然や運命として考えない。
自分が使えるかどうかは置いといて、この本は面白そうね。
政治の二極化と大学の左傾化は進んでいる
著者は「人間の本性を考える」で色々と叩かれたらしい。
ただ、著者は歴史的にみれば理性が真実を広めてきたので、長期的にみれば解決するみたいな事を言っていた。無学な自分としては早くその時がくればいいねとしか言いようがない。
党派性の克服には理性的議論のルールも必要
議論のルールを設けることで、「信念の共有地の悲劇」や推論をアイディンティティーから切り離す事が可能。ラビの途中で立場を入れ替えて逆の意見を擁護させたり、敵対的コラボレーションといって意見の合わない者同士が組んで問題の根底を探る方法や、もっと簡単なものだと詳しい説明を求めるだけでもあるていど効果があるらしい。(ただ、国政のような大きな集団の話になると限りなく机上の空論のような気もする)
少なくとも、ユーゴ・メルシエとダン・スペルベル曰く「人の推論能力は、偏りのない立場に置かれた場合には十分論理的に発揮することが出来る。他人の主張や議論に勝つのではなく真理を欲する時がそうだ。」と言っているので、あまりにも人間を愚かな存在と言うのは乱暴な話なのだろう。
著者は「理性的な政治の実現を諦めるな。」と言っている。文明が進歩したのを見ると確かにその可能性はあるのだろう。
文化人の科学認識
彼らは科学者を科学がすべてであるとか、あらゆる問題を科学で解決すべきと考えている人種だと思っている。
著者は科学的思考を擁護することと、科学者のギルドを崇めることは全く別だと言う。そういうのは開かれた議論、査読、二重盲検法といった科学的視点からかけ離れているとのこと。
科学は常識が変わっていくから良いという感じかな。
民族紛争・非暴力運動の効果
隣接する民族同士が暴力沙汰を起こさずに共存している割合。旧ソ連の場合は95%。アフリカは99%になるらしい。マジかいな。
非暴力抵抗運動も成功したのは運が良かっただけと言われるが、エリカ・チェノウェスとマリア・スティーヴンは1900~2006年の間の政治抵抗運動を調べたところ、非暴力抵抗運動の4分の3が成功し、暴力がともなう運動は3分の1しか成功してないらしい。よくガンジーは相手がイギリスだから成功したと言われるが、この事が正しいならダライラマも良い戦略をしているという事になるな。
科学と人文学の協力は双方の得になる
人文学の低迷は文化の反知性主義的傾向と大学の商業化が背景にある。ただこれは人文学の自業自得の面がある。ポストモダニズムの失敗。大胆な反啓蒙主義。自己論駁的な相対主義。抑圧的なポリコレ。これらのものからまだ立ち上がっていない。
著者はニーチェやフーコーなどのポストモダニストをえらく批判している。
なんにしても、考古学や心の哲学を科学と融合させる動きは進んでいるので、これら二つは協力すべきと訴える。
ヒューマニズムの功利主義的主張がもつ利点
ジョシュア・グリーンは、義務論的な信条の多くが、部族主義、純粋性、嫌悪感、社会規範といった原始的な直観に根差しているのに対し、功利主義的な判断は合理的思考から生じると述べている。
ニーチェを切り捨てろ
すべての問題が「危機的状況、大災厄、異常発生、存亡の危機」というわけではない。すべての変化が「何々の終焉、何々の死、ポスト何とか時代の夜明け」というわけではない。悲観主義と洞察の深さを混同してはいけない。問題は決してなくならないが、解決は可能である。一つ失敗するたびに社会が病んでいると診断するのは、冷静さを欠く大仰な振る舞いだ。
ニーチェの思想は先鋭的でイケているように見えて、ヒューマニズムはダサいように見えるが、平和と愛と理解のどこが滑稽に見えるというのだ。
正直いって、ここに書かれていることがどれだけ正しいのかは自分にはわからないが、少なくともこれだけ世相がどんよりした中で人類に対して希望を語っているのは凄い事だと素人ながら感じる。
本邦のインテリはしたり顔で陰残陰鬱な話しかしないのだから、少しは彼の爪の垢でも飲んだらどうだろうか。
あと、この本でやたらニーチェを叩いているが、それについての反論の返答が検索したら出てきた。
davitrice.hatenadiary.jp