感想しか書いてない

本・映画・その他見たもの読んだもののアウトプット用のブログです。ほぼ感想だけを載せる予定

資本主義という宗教がどのように成り立ったか【解読ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(感想)】

 現代ビジネスを読んでいたらこの記事を見かけて興味を持ったので読んでみた。

  内容としてはウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を原著より分かりやすく説明したものである。ただそれでも自分の読解力では理解できなかった面は多かったものの、それなりに面白い本だった。

 そもそも「資本主義の精神」というのがどういうものかと言うと、「信仰のために労働と節制に励み、余った利益を運用して資産を増やす」というまさに今話題のFIREに近いような事をしていると感じた。より俗っぽい事を言えば「コスパの良い生活」というべきか。

 ウェーバーが資本主義の精神の体現者と評しているベンジャミン・フランクリンの経済倫理がわかる「若き商人への手紙へ」で、資産運用の謳い文句に使えそうな文面があった。

 「信用は貨幣である。お金を貸せば利息が入るのだから、お金は運用しなければならない。そうでなければ、あなたは運用で得られたはずのお金を、すべて殺してしまった事になる(一匹の親豚を殺せば、そこから生まれるはずの子豚を千代目の子孫まで殺すことになる。同様に5シリングの貨幣を殺せば、そこから生まれるはずの数十ポンドの貨幣を殺すことになる。)」

 要約して「運用しない事は子豚を産む親豚を殺すに等しい」みたいな事にして広告に打ち出せば使えそうではないか。

 そもそも今の資本主義のように貪欲に利益を追求する事は資本主義社会以前にも存在するが、それには身分から解放された職業倫理・救済への関心(経済への無関心)がないために資本主義社会とは違ってくるらしい。

 何より「天職」という概念がなかったので、伝統的社会での労働者はより稼ぐ事よりもあまり働かない事の方が魅力的だったそうだ。(賃金を上げるとかえって働かなくなる)

 そういうような状況がウェーバー曰く「教育」によって変化し「天職に一生懸命専念して富を増やす」という事を多くの人がするようになったとのこと。それがプロテスタントの土地で多かったらしい。

 あと、この本で興味深かった事は16世紀以降のカルヴァン派が宗教的儀礼に一切頼らずに、日常生活を徹底的に合理化して生きる事が魂の救済につながると信じていた事だ。天国行の人間はすでに決まっているいるので、自分が救われる人間である事を実感する為に余計な宗教的儀礼はせずにひたすら仕事と倹約に励んだそうだ。

 このような事を「脱呪術化」という。これで、周囲のものは何も自分を救済しないと考え一人でひたすら魂の救済を信じて生活を合理化して生きるそうだ。しかし、なんとも心の休まらない考えだなとも個人的には思う。なんにしもて昔の人間は死んだ後の事をやたら気にするので、現代人の我々から見るとなんとも馬鹿馬鹿しいように思うが、現代的に考えると老後の心配をひたすら気にするようなものだろうか。当時は今よりずっと死が身近だったわけだから、死後の事は普通に関心事だったのだろうか。

 

 とりあえず、ざっと読んだが、この分野については元々そんなに知っている事が少ないので中々内容を理解する事が出来なかった。

 それでも資本主義という宗教がどのようにしてこの世界に行き渡ったかがなんとなくなぞらえたような気はした。

 あと、巻末で紹介されていた「人生の理想とは何か。それは自分で探さなければならない。しかし何が理想でないのか。批判したいものを藁人形にして、自分の現状に胡坐をかいてはならない」というプロ倫の言葉にグッときた。