人間というものは、物語を通してしか世界を理解出来ない。それが人間の可能性であり限界だと個人的に思っている。
そして、人間が作った最強の物語およびコンテンツが宗教だろう。
その宗教がどういう感じで作るかが分かれば多少は創作の手助けになるのではと思い読んでみた。
まず、宗教の最終的な目的は何か。要するに「信者を幸福にする」事である。この事が本著でまず最初に書かれており、そこから論理展開がされている。単純にして明快な目標だが、よくよく考えるとこれ以上ないくらい厄介な目的である。
それは何故か。そもそもその「幸福」の定義が何もわからないのである。そして、その幸福がどういうものかは本著では語られていない。ただ、既存の宗教なら「死後、良い思いが出来る」という目的があるので気楽なものである。
ただ、こういう「幸せ」はちょっとした事ですぐ死んだりしてしまう命の安い時代でないと価値が出ない。21世紀を生きる我々は幸か不幸か中々死なない。生きて老いる事ばかり心配している。あの世の待遇よりこの世の待遇の方が数億倍頭を悩ませる課題である。
なんだか話がずれてしまったが、こんな感じで幸福とは何かというと中々難しいものだと感じる(単純に金と異性なら、投資セミナーやナンパセミナーに入信すればいいので、ここでは語らない)
なんにせよあらゆるコンテンツは受け手を幸せにする為にあると考える。じゃあ創作における受け手の幸せは何か?それはジャンルによって違うとしか言いようがない。恋愛ものなら受け手に恋愛的な感情を引き起こさせる。バイオレンスなら暴力的な感情を。胸糞なら胸糞な感情を存分に引き出させることが「幸福」となるのだろう。
で、第一章では教義について語られている。そこでのチェックポイントは
・神は用意できたか?
・教えは反社会的か?
・社会的弱者を救えるか?
・インテリは抱き込んだか?
・イケてる哲学はできたか?
「神は用意できたか?」
既存の神を使うことを推奨しているので、創作でいえばほぼジャンルを選ぶという事になるのではないでしょうか。どういう思考というか嗜好を選ぶかといった感じかな。
「教えは反社会的か」
「社会的弱者を救えるか」
既存の社会常識では救いきれない人がいる。そういう人を救ってきたのが初期のキリスト教であり、仏教であったが、そういうのは当然反社会的になる。
これを創作にあてはめるのだとしたら、既存の創作のスキマを埋めるもしくは既存のジャンル内であまりないようなものをするという事ではないか。
「インテリは抱き込んだか」
「イケてる哲学は出来たか」
問題点を追及してれば勝手にインテリがそれらしいものを作ってくれるそうだ。ただ、これは創作ではなんになるのだろう。おそらく、なにかしら考察できるような深みがあれば彼らを魅了できるのではということにする。
次の章では「大衆に迎合しよう」というテーマになります。まぁようするにどれだけ世間に人気が出るかということでしょう。
という事でこの章でのポイントは
・誰でも一分で理解できるか教えか?
・小学生でもすべきことが分かるか?
・葬式はしているか?
・現世利益は謳っているか?
・偶像は用意できたか?
「誰でも一分で理解できる教えか?」
「小学生でもすべきことが分かるか?」
創作であてまるならあれですね。「数行で表して面白い話とわかるかどうか」という点でしょうね。脚本等の勉強でも割とよく語られる話です。
「葬式はしているか」
こればっかりは創作においてどういうことか表現するのは難しい。なにかしら退場したキャラクターに対する対応みたいなものになるのだろうか。
「現世利益は謳っているか」
これは宗教はハッピーを目指すものという点と似通ってくると感じる。まぁ普通に作品として面白いかということか。
第3章ではいかにして信者を保持するかが書かれている。
ここまで色々書いたが、予定が詰まってきたので早急にこの記事を仕上げる必要が出てきた。
ようするに宗教を作るには
前提を作り、問題点を指摘することによって現状救われていない弱者に共感するものを提示する。そこからどのようにして救われるかを誰でもわかりやすくかつ深い世界観を構築し、偶像や儀式などの触れやすい実感しやすいものや親しみやすいものを提示していく。
こうする事で信者を幸せに導くというのがざっとした宗教の形だろう。
無理やりな感じになったが、創作もテーマからどうしたら幸せ(この場合は問題の解決や登場人物が向き合う課題か)になるかを見せて、そこから世界を作っていくというのがこの本から参考になるのではないだろうか。
すげぇ適当な感じになったが勘弁しておくれやす。