感想しか書いてない

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あれは母性だったのか。それともただの余計な情だったのか。【ドキュランドへようこそ「私のような少女たちへ」(感想)】

レコーダーに録画されていたドキュランドへようこそを見る。

今回の内容はアフガニスタンで父親から性暴力を受けている女性の話だった。

www4.nhk.or.jp

まぁ話から想像できるように酷い話だった。外面の良い父親から何度もレイプされ子供も産まされ、産んだ子供は何人か捨てられ、最終的に父親は捕まったもののその時点で彼女は父親の子供を妊娠しており、しかも証拠のDNAをとるために堕胎する事も出来ず結局出産する事になる。

色々障壁はあったものの父親は厳罰に処される事になったが、叔父が色々と彼女たちを迫害してくるので、団体を通じてフランスへ移住する事が出来るようになった。

話の最後に似たような被害を受ける女性からの電話を受けてやりきれない思いをするが、とりあえず彼女だけを見れば希望のある終わり方をした内容だった。

 

ただ、個人的に気になったところがある。

彼女は妊娠した子とは別に、すでにもう一人の父親の子供を育てており、DNA検査として産む子供は養子に出す予定である。女性の立場が弱いアフガンで父親を訴えたために社会の居場所も少なく碌に働けないために二人も子供を養う事も出来ないから当然の話である。

しかし、彼女は子供を産んだ後に急に子供が愛しくなり、結局養子に出した子を連れ戻してしまうのである。

合理的に考えれば恐ろしく愚かな行為である。しかし、これは所謂母性のなせる行動とも呼ぶ事も出来る。

ただ、最近では母性というのは幻想というのがアカデミックの世界では常識である。

twitterでも母性が湧かないという話はよく聞くし、昔読んだイランの女性の自伝漫画であるペルセポリスでも、筆者が空爆を経験した時見ず知らずの女性が自分の赤ん坊を筆者に預けて逃げてしまうという経験をしてそれから母性という物を信じなくなったという話も思い出す。

ペルセポリスI イランの少女マルジ

ペルセポリスI イランの少女マルジ

 

まぁ、昨今のネットにおける「その幻想をぶち壊す!」的な扱いをされる概念の候補で、「家族」に並ぶくらいにやり玉に挙げられる「母性」というものをこの番組で見てしまったわけなのである。

これを見て、自分は母性というものは本当に幻想なのかと素直に思ってしまった。ただ、母性というものは個人差が出るもので、このアフガンの女性はたまたまそれが強かったというだけの話なのだろうか。現代日本女性が特段弱いということなのだろうか。

私は男だし、それについて研究しているわけでもないし、勉強する気もないのでなんとなく想像するしかない。

ただ、憎い人間の血をひく子供を呼び戻すのは中々出来る事ではないし、手垢のついた言葉でいえば「母は強し」という事なのだろう。

今はただ、あの女性と子供たちが無事フランスで過ごしている事を想像するしかない。

 

余談だけど、日本ではあんなに不妊がどうこう言われているのに、中年の父親にレイプされてあんなにポコポコ子供が出来てしまうなんて、やはり妊娠は10代後半から20代前半がしやすくて、男は年をいったら可能性が低くなると言っても女性のそれほどではないという事なのか。

あと、彼女がタリバン政権下であればあんな父親はすぐ死刑になったのにと言っていたのはかなり印象的だった。無駄に厳格なだけいやな情けが無い分、犯罪者はすぐ断罪してくれるのか。