感想等メモ

Xの検索機能がゴミと化したのでこちらで記録する事とした。

リュドヴィック・スリマック著 裸のネアンデルタール人 感想

 内容が気になったので手にとったが、自分の読解力がないからなのか、よくわからない内容が多かった。全体的に著者がフランス人だからなのか回りくどいポエミー?な言い回しが多く、「結局何が言いたいんだ?」と思う事がしばしばあった。

 テーマとして語られている様な話の前提で「ネアンデルタール人は我々ホモサピエンスと変わらない」という事を著者は語っているが、そもそもそういう話があった事自体初耳だった。

 著者曰く「彼らを我々ホモサピエンスと同じような存在とみなすのはかつての先住民同化政策に等しい」と語っていた。その道の第一人者がそういうならそうなのかもしれないが。

 著者はネアンデルタール人を「優れた存在」と言っているが、狩猟方法が槍を持って獲物と一対一でとびついて仕留めているので狩猟の効率性がホモサピエンスと比べても段違いで悪く(ホモサピエンスは弓や投槍器を使って効率的に狩る)、それ故に群れの規模も小さいものだったらしい。あと、ネアンデルタール人は骨や牙に穴を開ける技術がなかったとか、ホモサピエンスの自分から見たら「個の能力は高いけど、群れの能力としては低かったのでは?」と思ってしまう。

 ホモサピエンスは「規格化」が得意で差異を認めないが、ネアンデルタール人は規格化が苦手で差異も気にしないらしく、その辺がまた集団形成能力が低そうだとも感じた。

 あと、微妙に気になったのが、ホモサピエンスとネアンデルタール人の交流はネアンデルタール人絶滅直前の時期だったらしい。

 なんというか、ホモサピエンスの人口圧でネアンデルタール人がおされたみたいな事も書いてあった。正直、面白い部分は少数の部分しかなかった。

 

 

ウォルター・アイザックソン著「イーロン・マスク」感想

 自分のつたない読解力による印象だと「思い込みや妄想が激しいが、賢い頭脳と強靭な肉体と精神で現実の問題をむりやり押し切った男」というものだった。彼は188cmもある大柄な男だが、仮にもし彼が小柄な虚弱な男だったらここまでの事は出来ていなかったのではと思えてならない。正しいのかどうかわからないが暇空茜みたいな男になっていた可能性は普通にあると思っている。というか、リスクにやたら首をつっこみにいったり、陰謀論的な思考になったり、そもそも家庭環境がよくなかったりとイーロンと暇空茜には妙に共通点があると感じた。二人とも自分はASDと公言しているのもあるが。暇空茜も何かもっと別な方向に歯車が嚙み合っていたら何か事業を起こす方向に行っていたのだろうか。ただ、彼の性格で日本社会での起業はやはり難しいものになるのだろうか。

 なんにしても、彼をざっと見ていると「生きる実感をするためにやたら人やものを巻き込む壮大なリストカット」をしているようにも見える。これも父エロールによるものなんだろうか。

 あと、「イーロンは所詮実家が太いから成功できた」という意見もあるが、彼が渡米した時には父の事業は傾いておりとても金持ちとはいえない状況だった。ただ、幼少期にはコンピューターなど興味のあるものは買ってもらえていたので、そういう非認知的な条件はかなり影響は及ぼしてそうではある。

 しかし、この危なっかしい精神の金持ちに世界の情勢が振り回されると思うと少々うんざりする。そういうやつが今の世界に2人もいることになってるんだから。

 

 

山口由美子著「再生 西鉄バスジャック事件からの編み直しの物語」感想

 この本は2000年に発生した西鉄バスジャック事件の被害者の手記なのだが、殺害された被害者含めて、教育に関わっていた者だったというのはなんとも皮肉なように感じたが、読んでいると著者はその事件に遭うことによってより教育の道に関わろうとしている事に感嘆せざる得なかった。

 恩師を少年に殺害され、本人も深い傷を負ったのに少年を憎まずにいれるのは、本人の資質もあるだろうが、彼女が事件後に色々な集まりやつながりを作り孤立せずにいたのがあったのではないかと思った。光市母子殺害事件の遺族の手記を読んだ時も似たような感想を抱いた事がある。やはり人間にとって繋がりというのは色んな意味で安全保障になるのだろう。

 著者は自分の子供が不登校になった経験から不登校児の居場所作りに尽力するので、不登校児の話などが載ってたりするのだが、これを読んで思ったのが「今の社会は良い意味で子供をほったらかしにする事が出来ず、強い管理下におかれている」という事だ。

 28歳で反抗期が来た息子の話があるのだが、大人しく親の言うことに素直に従っていた子供がちょっとした挫折でつまずいてから立ち直れずにずるずるひきこもって大人になってからようやっと親にたいして不満を爆発させたという感じだった。

 また、不登校児支援の中で何度も子供たちから「親にとっていちばん必要な事は子供を放っておくこと」という話が出てくる。無気力の心理学でも生きるのが面倒くさい人でも管理下の強い環境におかれて育つ事の弊害が語られていたが、今まで読んできたものがどこかで繋がっていたのだなと感じて少し興奮した。

 著者は犯人の少年へ手紙を送っているのだが、それにさらっと「家が全焼した」と書き、そのあとに「あなたが更生することを期待していますよ!」といった内容が続いていたのだが、個人的にはこれは呪詛や非難の言葉よりきつくないかと思ってしまった。当然、少年が自分の罪を認識した場合に限られる話だが。

 しかし、世の中には著者のような人間がいるのだなという驚きはあったが、話している内容は理想主義に近いようにも感じてしまった。ただ、読んでて思うのが、資本主義と教育というのは本当に相性が悪いなという事だった。やはり教育はあまり資本主義的要素を取り入れるのはよくない。人間に教育するというのは効率も再現性も何もかも悪すぎるからだ。

 

 

岡田尊司著「生きるのが面倒くさい人」感想

 この本を読んで真っ先に思ったのが、「思い当たる節が多すぎる」というのと、「現代はまさに回避性パーソナリティの時代だ」という事だ。

 恋愛離れや推し活やら、元気のない若者なども大体これで説明できるだろう。ほぼ現代病と言って過言ではないのではないか。

 では、何故人は回避性パーソナリティになるのか。当然、遺伝的要因と環境的要因がある。ただ、これだけ先進国を中心に増加しているのを見ると環境的要因の変化がかなり大きいだろう。また、環境の変化で遺伝子にスイッチが入って発動した可能性もある。

 作者は都市化による個人主義の浸透が一つの要因と考えている。また回避性パーソナリティは主体性の機会を奪われる事によって形成されるという。作者は「今の子供は昔に比べると画一化されている印象がある」と言っている。子供に何に関心があると聞いてもみんな似たような回答しか言わないそうだ。よく管理された家庭(教育熱心な家庭ともいえるのか)では塾や勉強に多くの時間を奪われ、余暇はゲーム・漫画・アニメ・ネットに費やされる事が多い。勉強か画面を見るくらいしかしていない。結果的に社会性を育んだり、関心を深めたりする機会がない。溢れかえる刺激も多様なように見えてパッケージ化されたものなので見せかけの多様性である。複製可能な体験は真の主体的体験とはいえない。またIT化による情報過多も無気力を引き起こしている。

 以前、読んだ「無気力の心理学」でも「内発的動機なしに外部からの影響でやらされると無気力が増しやすい」とあったが、親や社会が子の安心安全のためにやらしている事が返って子供の精神を長期的にじわじわと蝕んでいるのではとも思えてくる。

 作者のこれらの主張は反論もあるだろうが、そこまで間違ってないと個人的に思っている。ただ、自分の場合はASDゆえの関心の低さと親の善意による干渉によって己の回避性パーソナリティを引き起こされたと感じている。(ただ、それでも親は積極的に集団行動をさせるように色々な活動に自分を参加させたが、これで大分マシになったという事なのだろうか。ただ、どっちにしても主体性はないので効果はイマイチだっただろう。それよりも早いところ親元から離れる事が重要だったのではと今になって思う)

 この本には他にも回避性パーソナリティの人間にどう対処すればいいのか書いてあり、Z世代の若い部下への対応に困っている人間にも読む価値はあるのではと感じた。

 あと、回避性パーソナリティ当事者の改善方法みたいなのも最終章で書かれていたが、銀の弾丸のようなものはなく気長なリハビリみたいなものしかなかったのがしんどいなと感じた。とにもかくにも「安全基地の確保と些細な事でいいから自分で決断することを増やす」といった感じだった。

 しかし、俺の人生はこの回避性パーソナリティに振り回されっぱなしになるんだろうか。

 

波多野 誼余夫・稲垣佳世子著 無気力の心理学 感想

 自分は幼少期からというか、幼少期が特に無気力な事が多く、今思うとなぜあんなにも無気力だったのか疑問に思いこの本を手に取った。

 

 最初に昭和版を読み、2020年に改訂された版も読んだが、どこが違うのかはいまいちよく分からなかった。

 なんにしもて、動物実験から心理実験の内容や現代社会における無気力になる構造を説明されており、現代社会の無気力になる構造は今でも通じる内容でむしろそれは加速していると感じた。

 

 まず、動物実験による無気力の説明だが、拘束した状態で電気ショックなどの避けられないストレスを与え続けるとその個体は無気力になるといったものだった。それは人間でも同じことで騒音の酷いスラムの子供も課題に取り組む気力が低いといった内容が書かれていた。

 そういった状況から脱するには強制的にでも相手を動かす事にあるようだ。

 

 しかし、現代社会はこのような避けられない苦痛が多い訳ではないのにも関わらず無気力になりやすくなっている。その理由が「過剰な競争」と「効力感の喪失」になる。

 二つの共通点は「内発的な動機がない」という事になり、外部からの影響で「やらされている感」が強いという事になりそれが無気力につながるという。

 「競争」は集団の結束を弱めるので、内心がギスギスしやすくなる。また、かつては熟練の職人といった自分のやっている事そのものに誇りが持てた職業が多かったが、現代は全てが組織化され仕組化された為にどこまでいっても代替可能な歯車になる人間の方が多いので効力感を喪失している。これから逃れられているのはせいぜい医師といった高度技術職くらいだが、それでも彼らの中で競争があるので無気力とは無縁ではない。

 こうした感じの話が書かれていたが、自分が美術鑑賞が好きなのも他のコンテンツと比べても作者の「内発的動機」が占める割合が大きいのがあるからかもしれない。

 また、自分が幼少期無気力だったのも障害で行動や思考が思うように出来なかったことと母親の干渉による効力感の喪失からではととりあえず判断した。とりあえずそう思う事にする。

 

バフェットからの手紙を読む(2週目)③

110ページまでいく。

・株主主体で行う企業の慈善事業

慈善事業やるなら株主が同意するものをやれ。

 

株主の意向確認をせずに慈善活動する場合は以下の事が考えられる。

①寄付金費用に見合った形で直接的に企業利益を持たせられると考えられる寄付。

②寄付による利益の程度が確定しにくく、長期間過ぎた後に様々な形で間接的に企業に利益をもたらすと考えられる寄付。

 

バークシャーは①を中心に行ってきた。②は決してしない。

 

バフェットが嫌いな企業慣習

慈善団体の客観的評価よりも他の経営者がどう反応するかで寄付すること。株主を見ていない。

バークシャーは慈善団体を株主が決められる。

愛着で寄付するならポケットマネーでやってほしい。

 

無駄は嫌だがバークシャーはプライベートジェットをなんだかんだで買った。

結局、株主が慈善団体を選ぶのは中絶論争のために2003年にやめた。

バフェットからの手紙を読む(2週目)②

98ページまでいく。

経営者としての素直な態度をとれば得るものはある。他人を公然とあざむくCEOは結局は自分自身もあざむく事になる。

バフェットは投資に関する良い事は中々出会えないので、よそには言わない。

 

株式保有期間を通じて、市場における株価の変動と一株あたりの内在価値の変化が釣り合ってるかどうかを可能な限り記録してほしい。

バークシャーの株価と内在価値は常に一定であってほしいとバフェットは思っている。

 

バフェット「過大評価されるのは過小評価されるのと同じくらい悪い」

 

完全な公開

株主総会で一番無駄なのは壇上で話すことばかり考えている出席株主。総会の質は年々低下している。

 

企業の目的:バートナーシップの価値を築く。

 

三つの提案がある。

会計に疎く見える企業は用心する。

 企業が依然ストックオプションを計上していない。

 年金コストの想定が現実的でなかったりする場合は注意。経営者が目に見える部分で恥ずべきことを行っているなら、陰で似たようなやり方をしてる可能性あり。

 

EBTIDA

 企業価値を評価に用いられる指標の一つで、利息、税金、減価償却費を差し引く前の利益を表す←これについて吹聴することは悪質。

 

減価償却費は特に魅力の低い費用。そこに示される現金支出は、手に入れた資産が企業に利益を前に前払いで支払われる。

 

年次報告書の難解な脚注はその経営者が信頼できない事を示す場合が多い。CEOが理解してほしくないと思ってる可能性有。

 

利益予測や成長予測を吹聴する企業は疑う。そんな事は無理だから。証券会社が作ったものなら話は別。

バフェットは将来の事がわかると繰り返すCEOを疑う。公にうちだした数字を達成してたらより疑う(数字をでっちあげている可能性がある)

 

バークシャーは達成すべき「数字」を設定しない。これによって子会社に私達の文化を強化していく。

バークシャーは「株主」というパートナーのために働いている。

 

・取締役会と経営者

取締役は誠実で才能あるCEOを見つけ出し、引退するまで会社に引き留めておくことが仕事。しかし、これは非常に難しい。

数字を達成したCEOにうながされ予測というか数字をいじる経営陣は多い。

「床屋に散髪が必要かどうか聞いてはいけない」絶対に必要と言うから。

 

CEOはよく懐く取締役を求めている。

CEO:企業の経営方針や事業戦略を策定し、業務執行を統括する役割を担う。会社法で規定された役職ではない。

取締役:会社法で定められる役職。会社の業務執行を決定する機関の一員。

 

アメリ

CEO:企業最高経営責任者。経営の策定、事業計画の実行、組織全体の運営など、経営全般に関する責任を負う。

取締役:株主代表として、経営陣の活動を監督する役割を担う。取締役会を構成し、会社の重要な意思決定に関与。

 

手数料を重視する(実際には切望)取締役はほぼ必ず独立性があるとされるが、会社の繁栄に大きく依存する資産を持つ取締役は独立性がないとされる。

バフェットは取締役がポケットマネーで株を買ってる方が好ましいと思っている。

 

CEOの評価は難しいので、無能でも居座れる。

取締役会とCEOは意見を述べ合える関係が理想。しかし、それはほとんどない。

経営者と株主は3つのケースがある。

 ・取締役に支配株主が存在しない企業(ほとんどの企業はこれ)この場合、取締役たちは支配株主の長期利益を高める方向に尽力すべきだが「長期」という事が取締役たちに逃げ道を与えている。

 

 ・バークシャーのように経営権を握る株主がCEOを兼ねているケース

  企業によっては持ち分に対して不均等な議決件を付与する2種類の株主が存在することで、この第二のケースに該当することもある。取締役会の力はかなり削がれる。取締役会は辞職するしかCEOに対してカウンターする方法があまりなくなる。

 

 ・経営権をにぎる大株主が存在しても経営に参加しないケース。ハーシーフーズなどがそう。社外取締役潜在的に有利になる。不満をオーナーに直訴できるから。これが社外取締役の理想。オーナーはその直訴に納得すれば即座に状況を変革できるから。しかし、取締役ならやめる以外の方法がない。

 

最高の経営環境は三番目のケース。

二番目のケースではオーナーが自分自身のクビを切ることはありえない。一番目のケースは経営者が駄目な場合、それに取締役が対処するのが非常に困難になる。やれない事はないが票を集めたりかなり手間。また経営者が足かせをはめられることはない。

 

バフェットはその業界、企業のことはその会社の経営者が一番よく知ってるからアレコレ言わない。

 

バークシャーが取締役に与える任務

①自らがその会社を100%保有していると考える。

②その会社があなたやあなたの家族が持つ資産の全てであり、この先もそうであると考える。

③少なくとも一世紀はその会社を売ったり合併したりする事はできないと考える。

 

会計上重要なことではなく事業について重要なことを考えて欲しい。

ほとんどのオーナーは短期的見通しと報告利益にこだわっている。

 

顧客に喜びを与え、不必要なコストを削り、商品やサービスを充実させ決して顧客に無関心にならず、慢心しなければ競争力はたかまり「(経済的な)堀は拡張する」

「堀の拡張」は必須事項

短期利益と長期利益がかち合う場合は「堀の拡張」になるほうを選ぶ。

ベンジャミン・フランクリン「1オンスの予防薬は1ポンドの治療薬より効果がある」

 

・社員と事業の変化

コント「知性ある人間は自分の心に従うべきだが、その奴隷になってはいけない」

ボートがいつも水漏れをおこしているなら、修復に励むより乗り換えた方が良い。

如何に経営者が優秀でも業界全体が悪いとどうしようもない。

優秀なビジネスマンになりたいのなら優れた業界に入りなさい。

新聞業界は衰退するだろうけど、公共心のある資本家が買収したら存続するかも。

 

・社会と社会契約

賢明な規制と賢明な投資はコインの裏表と言える。

バフェットは鉄道や電力といった社会に貢献する事業にも出資している。それはめぐりめぐって国を発展させるから。ただこれはバフェットだからできることだろう。