感想しか書いてない

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芸術版シグルイであるホーキーベカコンとその原作春琴抄を読んだ【感想】

ホーキーベカコンというのは関西での上等な鶯の鳴き声だそうだ。この漫画を知ったのはWeb広告で、お試しまで読んで少し気にはなっていたものの続きを読む事はなかった。

ただ、ホーキーベカコンという言葉の響きは妙に気になってなんと夢の中にまでこのワードが出てきてしまったのである。

ここまで来たらもはや何かの縁だと思い購入して読む事にした。 

ホーキーベカコン1

ホーキーベカコン1

  • 作者:笹倉 綾人
  • 発売日: 2019/03/06
  • メディア: コミック
 
ホーキーベカコン2

ホーキーベカコン2

  • 作者:笹倉 綾人
  • 発売日: 2019/03/06
  • メディア: コミック
 
ホーキーベカコン3

ホーキーベカコン3

  • 作者:笹倉 綾人
  • 発売日: 2019/11/09
  • メディア: コミック
 

 率直な感想としては芸術版のシグルイだなと思った。

そもそも、著者はシグルイのような物を表現したくてこの作品を描いたのではないかと思うくらい似たような表現や雰囲気が多くあるのである。甘酒は溢れ、乳首はもげそうになり、よくわからん獣の黒焼きを箸で食ったり、SM的なまでの身分関係など、シグルイ好きならどっかで見たような光景が多く出てくる。でも、個人的にはシグルイのそれと比べると若干パワーが足りないような気がする。それは絵柄のせいなのか、そもそも暴力を追求したシグルイと耽美を追求したホーキーベカコンでは前者の方にパワーが出るのは当然という事なのか。

なんにしても、著者がエロ漫画出身なのもあってか漫画を見慣れていない人には下品に思えるくらい官能?変態?表現は多いものの高貴で可愛い女性にひたすら虐げられたり、振り回されたりする作品なので、そういうのが好きな人はかなり気に入る作品だろう。

個人的にはなんでこんな場面になってるの?と思う箇所がいくつかあったりしたので、著者が多少原作を消化しきれていないのではという気はした。

 

そして、せっかく原作がある事なので、そっちの方も読んでみる事にした。

春琴抄 (新潮文庫)

春琴抄 (新潮文庫)

 

漫画版の方は原作の行間を膨らませて描いたものなので、漫画版にはあって原作の方にはない話もあったが、原作の方が春琴が人間臭く書かれていた。漫画版ではほぼ完ぺき人間だったが、原作の方は吝嗇家でかつ月謝を多く払う生徒には比較的優しく接したり、怒鳴りに来た元弟子の父親を普通に怖がったりと人として悪かったり弱い部分も描かれていた。

漫画版でこれが描かれなかったのは、より完ぺき人間にした方が佐助にとって虐げられ甲斐があるからという事なのだろうか。

美濃屋の利太郎も原作ではただのクズのボンボンで春琴にどつかれて退散してしまうが、漫画の方はもっと遊び慣れた大人の男として描かれおり春琴を激しい女と知った上で弄んだりとキャラクターの魅力は漫画の方が上かなという気はする。

それでも、原作は原作で面白いし、古い文体がより一層耽美で雅な雰囲気を醸し出してると感じる。漫画の方はそういう雅さは薄れているが、オタク層向けには良い感じになっていると思う。個人的には原作の方が好きかな。漫画は確かに絵は綺麗だけど、もっと激しい何かが無い。利太郎の退場の仕方もなんかよくわかんないし、最後のシーンも自分の弱い読解力ではよくわからなかった。ただ、佐助臨終のシーンは中々にカタルシスを感じたので良かった。Mもここまでくると無敵である。あそこまで佐助に崇められていたら春琴の方もかなりしんどかったのではないだろうか。

まぁそれでも春琴伝の二次創作としてはかなり良くできた漫画だと思うので読んで損はない作品ではある。

漫画の方はtwitterで全部読めます。ただめっちゃ読みにくいので、しっかり読みたければ買うか借りるかした方が良いと思う。

 そういえば、原作では最後の方に話の中で産んだ子供以外にも3人子供を産んだと書いてあって「お前ら本当に仲いいな」と思わず呟いてしまった。

あと、本作ではやたら佐助および芸事を習う弟子を虐げているが、原作の方でも当時の芸事の教育というのは大体そんな感じだったと説明されており、(あくまで芸で食べていく場合の話で)当時に生まれて習うような羽目にならなくて良かったと思ったが、出来の悪い弟子にほぼ徹夜で教育したりと師匠の方もかなり大変そうだったので、厳しいのは厳しくても戸塚ヨットスクールよりもハートマン軍曹のブートキャンプみたいな感じだったのだろうか。(当然、出来の悪い師匠もいただろうから戸塚みたいなのもあったのだろう)

他に気になったところで小鳥道楽の説明があり、手間のかかる餌の世話から鳴き声を習わせるために師匠になる鳥を探し回るなどの随分面倒な話があったが、この話を読んで自分はつげ義春の「鳥師」を思い出してしまった。この話では和鳥の鳴き合わせはすっかり寂れてしまった道楽として描かれているが、これだけ手間のかかる金持ち道楽なんて廃れて当然とさえ思えてくる。(この話はつげ作品の中でもかなり好きな話)しかし、今の金持ちはこういう無駄に手間のかかる道楽はしなくなったのでこういうところから文化が死んでいくのではという気がしないでもない。